リニア計画と南アルプスに関わる主なできごとA 
―国鉄民営化からJR東海による中央新幹線構想の公表―
 

背景色について

  で示したものは、政府による事業推進の動き 
  で示したものは、沿線自治体等による事業推進の動き 
    で示したものは、南アルプスの自然保護に関する事項。
  で示したものは、その他環境保全に関わる事項 
  で示したものは、沿線の市民等による動き。 


 

      関連記事等 
1987(昭和62)年  4月1日   国鉄分割民営化。JR東海発足。リニアの実験は財団法人鉄道総合技術研究所(鉄道総研)が継承。   
  7月   JR東海社内にリニア対策本部が設置される。  
  同月   中央新幹線建設促進既成同盟会はJR東海に対し、超電導リニア方式による中央新幹線の早期建設を要請。  
  10月16日   国土庁が行った都道府県に対するアンケート調査により、全国15の都府県においてリニア実現に向けた構想をまとめていることが明らかになる。リニア中央新幹線構想のほか4路線。 朝日新聞  
  11月  運輸省は日本鉄道建設公団に対し、甲府市付近〜名古屋市付近の山岳トンネルに係る地形・地質等の調査を改めて指示。   
  12月14日   石原慎太郎運輸大臣(当時)が宮アリニア実験線を視察・試乗。来年度予算案にリニア関係の調査費などを盛り込むことを明らかにする。 朝日新聞  
1988(昭和63)年  1月21日   石原運輸大臣は、2年後までにリニアモーターカー方式による新線を札幌ー新千歳空港間に、山梨−東京間に新実験線を建設する方針を明らかにする。 読売新聞 
  3月11日   大深度地下鉄整備調査研究会が報告書を作成。運輸省が深さ50メートル程度を掘り進める地下鉄整備により大都市圏の宅地供給増を目指していたもので、技術面、採算面からも十分可能としている。中央新幹線への適用が見込まれていたかは不明。 

 この後翌年にかけ、各省庁が大深度地下利用構想を次々と企画。通産省(ビル建設など)、建設省(道路、下水道、貯留管など)、郵政省(郵便地下鉄)、厚生省(水道)。
⇒関連記事 1989年2月15日朝日新聞
 「大深度の地下利用 私権大幅制限打ち出す 通産 指定に拒否権与えず
朝日新聞 

(関連記事
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  8月24日  超党派の国会議員によるリニア中央新幹線建設促進国会議員連盟が発足。会長は自民党の堀内光雄氏(山梨)。  
  同日   中央新幹線建設促進既成同盟会は、会の名称を「リニア中央エクスプレス建設促進期成同盟会」へ変更。  
  8〜9月   超電導リニアの消費電力について朝日新聞紙上で論争。  
  10月5日   運輸省内に設置された超電導磁気浮上式鉄道検討委員会が初の会議を開く。   
  10月18日   JR東日本の住田正二社長はリニアの早期実用化に疑念を表明。   
  10月25日   経済企画庁の研究会「二十一世紀の総合交通研究会」はリニアモーターカーの積極的導入を提言する中間報告をまとめた。 朝日新聞  
  11月25日   石原運輸大臣は超電導リニア方式による中央新幹線の実現に向け、特別立法を策定し、国家プロジェクトとして推進してゆく考えを表明。

(参考 リニア技術開発をめぐるJR各社の対立についての朝日新聞記事(同月28日) 「
リニア”独走”で対立深刻 JRグループ 実現急ぐ東海に東日本など反発 「共有財産」総研も困惑の色
読売新聞 
1989(平成元)年  2月3日   運輸省首脳が、リニア新実験線について、国とJR6社の負担で早期に実現したいとする意思を明らかにする。 日本経済新聞  
  2月20日   JR東日本社長はリニア新実験線への建設負担に難色を示す。 日本経済新聞 
  3月中旬   JR東日本、東海、西日本の3社は、JR東海がリニア中央新幹線の経営主体となることに水面下で合意したとされる。 
(老川慶喜「日本鉄道史 昭和戦後・平成篇 中公新書」による)
⇒参考記事 1989年10月2日朝日新聞 朝刊「リニアと走る思惑様々」  
 
  4月4日   経済企画庁が設けた「21世紀の総合交通体系研究会」は、リニア新実験線は第三セクター方式など中立的機関で建設すべきだなどとする提言をまとめる。 日本経済新聞  
  5月23日   リニア中央エクスプレス建設促進期成同盟会は、新実験線を山梨県に建設するよう決議し、運輸省に陳情。 日本経済新聞  
  8月1日   運輸省が、次年度概算要求に、リニア新実験線の建設費として研究開発費約20億円、財政投融資に40億円を盛り込むことを決めたと明らかになる。同時に新・実験線の建設予定地は山梨県であることも報道される。 読売新聞 
  同日   リニア中央新幹線の早期実現を目指して、名古屋商工会議所と甲府商工会議所との懇談会が甲府市内で開かれた。  中日新聞  
  8月7日   運輸省の設置した超電導磁気浮上式鉄道検討委員会は、リニア新実験線を山梨県内に建設することを正式決定。実験終了後は中央新幹線の一部となる計画である。
⇒関連記事 日本経済新聞8月12日社説 「リニア建設で欠けた議論」 
日本経済新聞 
中日新聞  
  12月29日   山梨新実験線に係る予算が初めて政府予算案として閣議決定。  12/27
朝日新聞
  
1990(平成2)年  2月6日   運輸省は中央新幹線全線の地形・地質調査を、日本鉄道建設公団とJR東海とに指示。 朝日新聞
 

同日

 江藤運輸大臣(当時)は、中央新幹線の経営主体はJR東海に、走行形式はリニア方式となることを想定していることを表明。 朝日新聞 
  5月26日   宮崎実験線にて実験車両が側壁に衝突する事故が発生。同実験線での実験開始後はじめてであり、超伝導磁石が磁力を失う「クエンチ現象」が原因とみられる。事故が報道されたのは8月末になってから 読売新聞  
  6月5日   大野運輸大臣(当時)は、リニア新実験線の建設にかかわる地元への説明は、1990年度予算が成立した後になると表明。将来的に営業路線になる前提であるが、地元への説明は建設地決定以降になる。 朝日新聞  
  6月8日   運輸省は、山梨県に建設する浮上式リニアモーターカー新実験線のルートを、南都留郡秋山村と東八代郡境川村を結ぶ42.8キロにする、と発表。年内に着工し、93年に実験開始の予定である。
日本経済新聞の詳細な記事 
朝日新聞  
  同日   鉄道総合技術研究所、東海旅客鉄道株式会社、日本鉄道建設公団の三者に対し運輸省から「超電導磁気浮上式鉄道に係る技術開発の円滑な推進について」を通達。運輸省はJR東海に対し、将来の中央新幹線については、同社が東海道新幹線の経営と一元的に行うとの見解を示した。   
  6月22日   運輸省は東京−大阪間に計画されている中央新幹線の計画について、JR東海が東海道新幹線の経営と一元的に行う、との見解をJR東海に示したと報じられる。 朝日新聞  
  6月25日   JR東海、鉄道総研、日本鉄道建設公団の三者は運輸省に対して「技術開発の基本計画」及び「山梨実験線建設計画について」を承認申請し、同日付で承認された。 
参考資料(JR東海社史「東海旅客鉄道20年史」より抜粋
 
  6月26日   JR総研、JR東海、鉄建公団の三者が「環境影響調査報告書」に関する山梨県への事前説明会を開き、山梨県リニア推進局および県民生活環境保全課と会合。   
  7月11日   大野運輸相は記者会見で、「東京−大阪間のリニアモーターカーを2001年1月1日に開業させたい」と述べる。  
  7月20日   環境影響調査報告書を山梨県に正式提出。再度議論を行う。  
  8月18日   環境影響調査報告書について補足説明資料を山梨県に提出。  
  8月22日   山梨実験線について、初めて沿線市町村に対して事業説明会が行われる。   
  8月23日   山梨実験線沿線の地区ごとの説明会を開始。  
  9月5日   山梨県知事よりJR総研、JR東海、鉄建公団の三者に対し、環境影響調査報告書の内容について意義はないとの回答。包括的な環境保全を図るため、山梨県と事業3者との間で環境保全協定を締結。  
  11月28日    山梨リニア実験線着工式。これに先立ち、鉄道総研、東海旅客鉄道株式会社(JR東海)、日本鉄道建設公団(のちの独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構〔鉄建機構〕)によって山梨実験線環境影響調査報告書が作成される。 朝日新聞  
1991(平成3)年  2月6日   山梨実験線の5ヵ所のトンネル工事について入札が行われ、5企業体が落札。 リニアの建設工事としては初。

 なおこののち、事業費が予定を大幅に上回ることが確実となる。
⇒参考 同年7月21日朝日新聞記事
リニア 浮かぬ顔 改良多く「予算足らぬ」距離半減案も出る
朝日新聞  
   5月7日   第120回国会にて「リニアモーターカー山梨実験線にかかわる諸問題に関する質問主意書」が出され、海部俊樹首相(当時)から答弁がなされる。  
  5月19日   リニア中央新幹線は原発の電力が必要になるとして、首都圏で反原発運動を続けている市民らの「ストップリニア東京連絡会」が都内で集会を開く。当時の朝日新聞によると、リニア計画に対して市民が反対集会を開くのは、これが初めてのことだという。  
  9月3日   山梨実験線の建設は沿線の環境破壊をもたらすとして、「市民によるリニア実験線検討委員会」が建設の中止を求める陳情書を、6300人の署名を添えて村岡運輸相(当時)に提出。  
  10月3日   宮崎実験線で車両全焼事故。  読売新聞  
  11月28日   朝日新聞社による山梨県民を対象とした世論調査で、リニアよりも新幹線のほうが現実的と考えている県民が過半数(61%)にのぼると報じられる。  
1992(平成4)年   7月14日   運輸省は山梨実験線について、用地買収等が進まないとして、当初予定していた42.8qのうち18.4qを先行して建設することを発表。実験開始を94年に、実用化目標を97年に延期することに変更 読売新聞  
  7月28日   中央新幹線建設促進既成同盟会は「中央新幹線沿線学者会議」を設置。
⇒参考資料「リニア中央新幹線で日本は変わる」より事業推進の意義  
 
1993(平成5)年  3月23日   第126回国会にて、再度「リニアモーターカー山梨実験線に関する質問主意書」が出され、宮沢喜一首相(当時)から答弁がなされる。  
  8月25日   運輸省は山梨実験線での実験開始時期を96年春に、実用化のめどをつける時期を98年度に遅らせることを発表。   
1994(平成6)年     ドイツ連邦政府は、ハンブルク〜ベルリン間(292q)に常電導リニア方式の路線を建設することを決定する。  
  8月9日頃   運輸省とJR東海は、山梨実験線の実験開始時期を97年春に、実用化へのめどをつける時期を99年度に遅らせることを発表。   
1996(平成8)年 7月   山梨実験センター開設。  
1997(平成9)年  3月   山梨実験線の先行区間18.4kmが完成し走行実験開始。当初予定より4年遅れたことになる。運輸省内に、研究者を集めた超電導磁気浮上式鉄道実用技術評価委員会が発足。  
  6月13日   環境影響評価法(以下アセス法)成立。  
1998(平成10)年  6月   アセス法施行。方法書段階から市民の意見提出が可能となる。  
1999(平成11)年   4月14日   超電導リニアが有人走行552km/hを達成。  
2000(平成12)年     運輸省より鉄道総研、JR東海、鉄建機構に対し、東京−名古屋間の地形・地質等の調査を指示。   
  5月26日   「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法」が施行される。
関連記事 1月23日、3月10日の朝日新聞  
 
  12月   環境大臣より中央環境審議会に対し、「自然公園の今後のあり方について」を諮問。  
2004(平成16)年  2月   第7回生物多様性条約締約国会議において保護地域作業計画が決議される。代表的な生態系を網羅した保護地域ネットワークの確立を目標としており、このため「2009年までに、国あるいは地域レベルのギャップ分析により抽出された保護地域を選定する」という目標が掲げられる。  
     ドイツ連邦政府は、1994年に事業決定したハンブルク〜ベルリン間の常電導リニア方式鉄道の建設を正式に中止。  
2005(平成17)年  7月   実用技術評価委員会より「超電導リニアの実用化の基盤技術が確立した」との評価が出される。   
  8月   地球温暖化対策のための京都議定書の発効を受けて、「エネルギーの使用の合理化等に関する法律(省エネ法)」が改正され、JR東海を含む運輸業者に対しても省エネ対策が義務付けられる。翌2006年4月から施行。  
  10月   長野県大鹿村など全国7市町村の呼びかけにより、「日本で最も美しい村連合」が発足。  
2006(平成18)年   時期不明   JR東海は大井川水系において流量観測を始める。  
2月2日   山梨県南アルプス市において、静岡市と南アルプス市両市議によるによる南アルプス研究会が発足。  
  6月9日   南アルプス周辺の3県10市町村が連携し、南アルプスの世界自然遺産登録を目指すと表明。  
  9月25日   JR東海は3550億円を投入して山梨実験線を延伸することを発表。 日本経済新聞  

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