リニア計画と南アルプスに関わる主なできごと@
―国鉄民営化まで―
 

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  で示したものは、沿線自治体等による計画推進の動き。 
    で示したものは、南アルプスの自然保護に関する事項。
  で示したものは、その他環境保全に関わる事項 
  で示したものは、沿線の市民等による動き。 


 

      関連記事等 
1950(昭和25)年   2月5日   南アルプスを国立公園に指定しようとする運動が始まる(第1回南アルプス地区開発座談会を開催)。   
1961(昭和36)年  6月29日   長野県大鹿村において、梅雨前線による大雨により大西山の斜面が大きく崩れ、大きな人的被害が生じる。一帯は中央構造線の活動により岩盤がもろくなっていることが大きな要因とみられる。現在、この付近でリニアの地上工事が行われる計画であり、土砂災害の誘発が懸念される。  
1962(昭和37)年     リニアモーター推進浮上式鉄道の研究開始  
1964(昭和39)年  6月1日   南アルプス国立公園の発足。  
  10月1日   東海道新幹線が開業   
1966(昭和41)年     米国機械学会誌において、磁気浮上式リニア鉄道の理論的可能性についての発表がなされる。  
  9月27日   国鉄は10年後までの鉄道整備計画をまとめる。新幹線整備として、東北新幹線・山陽新幹線の建設により盛岡〜博多までを直通可能にすることと、東京〜大阪間の需要増に対応するための第二東海道新幹線を建設することが盛り込まれる。  朝日新聞  
1967(昭和42)  5月   日本土木学会総会にて、篠原武司・日本鉄道建設公団副総裁が「鉄道の現状と再編成」と題して会長講演。全国新幹線網の整備を提言。  
  8月31日   自民党の都市政策調査会(田中角栄会長)から将来の幹線鉄道整備について諮問された国鉄は、20年後をめどとした新幹線鉄道網構想を発表。東京−名古屋−大阪を一直線に近いルートで結ぶ”東海道第二新幹線や東京と甲府を結ぶ通勤新幹線の構想が盛り込まれている。前年9月案の発展形と思われる。  朝日新聞  
1969(昭和44)年  5月30日   新全国総合開発計画の閣議決定。新幹線網の整備がうたわれ、その中に第2東海道新幹線の構想が盛り込まれる。 【参照】国土交通省HP    
  6月25日   鉄道建設審議会において「次期通常国会に提出することを目途に新幹線鉄道建設のための法案を検討するものとする」旨の決議がなされる。  
9月17日   自民党の国鉄基本問題調査会および交通部会にて全国新幹線鉄道整備に関する基本方針を決定。15年計画、11兆3000億円で28路線9000qを整備しようというもの。後の第二東海道新幹線、中央新幹線に相当すると思われる路線も含まれている。  朝日新聞   
1970(昭和45)年  1月29日   大阪万博にリニアモーターカーの模型を出展・試運転開始。時速20キロで走行。   
  3月5日   鉄道建設審議会(会長 鈴木善幸 自民党総務会長)にて、前年9月に自民党がまとめた全国新幹線網に関して審議。 朝日新聞  
  3月11日   鉄道建設審議会にて、全国新幹線網を実現するための全国新幹線鉄道整備法案と、それに添付された予定路線(9000q、総工事費11兆3000億〜15兆円)を審議、決定。このとき添付された予定路線は、法案の国会提出時には佐藤栄作首相(当時)の指示により削除された。  朝日新聞  
  4月13日   国際鉄道連合会主催の世界鉄道首脳者会議が東京都内で開かれる。国鉄の磯崎総裁は、「1980年頃には東海道新幹線の輸送力は限界に達する」との見解を述べたうえで、「東京−大阪間に超電導磁気浮上方式の超高速第二東海道新幹線を建設する」構想を表明。近いうちに具体的な作業に取り掛かるとする。  朝日新聞  
  5月13日  全国新幹線鉄道整備法の成立。18日施行。 朝日新聞 
  6月26日   自民党静岡県連が静岡空港計画についての勉強会を開催。リニアモーターカー方式の第二新幹線・第二東名高速道路とセットになっていると説明されている。  静岡新聞   
1971(昭和46)年  5月17日   橋本運輸大臣は、静岡市内で開かれた後援会で、静岡県榛原地区に港と空港を建設し、貨物輸送の拠点とする構想を表明。合わせて第二新幹線、第二東名を整備したいとする。 読売新聞  
  9月22日   国鉄はリニアモーターカー実験線と実験用車両一両を造るため、来年度予算で35億円を大蔵省に要求することを決定。48年度から無人実験車両で実験を開始し、55年度には東京−大阪間の超高速鉄道を実現したいとしている。   
1972(昭和47)年  6月   田中角栄『日本列島改造論』出版。リニアモーターカー方式による第二東海道新幹線の実現について言及。  
   11月18日  運輸省は国鉄運賃値上げ、新財政再建対策についての構想をまとめる。その中では48年度から10年間に、延べ6000−7000キロの新幹線網を建設、整備する計画を盛り込んでおり、のちの中央新幹線も含まれている 朝日新聞 
1973(昭和48)年 5月24日   運輸省は、東海道地域の増大する旅客需要に対応するために、新幹線電車の改良型による第二東海道新幹線を、別の地方新幹線に最優先して、遅くとも55年度までには建設すべきであるとの構想を固めていることが明らかになる。 朝日新聞 
   9月21日   田中角栄首相(当時)と自民党の鈴木善幸総務会長(鉄道建設審議会会長)とが話し合い、将来の全国新幹線網建設について、すでに建設が決まっている北海道、東北、北陸、九州、長崎の5新幹線のルートを内定するとともに、新たに東京を起点として中部地方−大阪−四国北部−九州を結ぶ”西日本縦断新幹線”と、九州東線、日本海、札幌−旭川、札幌−苫小牧−室蘭の各路線を基本計画に組み入れる方針を決定。 朝日新聞 
  9月28日   田中首相が率先して進めている全国新幹線網構想について、主要閣僚から一斉に批判の声があがる。 朝日新聞 
  9月29日   二階堂官房長官(当時)は、来月5日開かれる鉄道建設審議会には、すでに建設の決まっている東北、九州など5路線の正式承認を求めるのにとどめ、西日本縦断新幹線、奥羽新幹線など、いわゆる追加路線の諮問は延期するよう指示。 朝日新聞 
  10月4日   政府・自民党首脳の協議の結果、中央新幹線を含む西日本縦断新幹線などいわゆる追加路線の諮問について、首相の帰国を待って改めて協議すると決定。 朝日新聞 
  10月12日   新谷運輸相(当時)と田中首相の協議の結果、いわゆる追加路線については、鉄道建設審議会において建議することで一致。 朝日新聞 
  10月15日   新谷運輸相と鈴木善幸鉄道建設審議会会長(自民党総務会長)とが、“西日本縦断新幹線”など新しく新幹線計画に追加する十新幹線建設問題について協議。 朝日新聞 
  10月16日   田中首相の裁断により、中央新幹線を含む10の追加新幹線路線については、鉄道建設審議会において諮問することが決まる。ただし首相の独走に対し閣僚内からの批判も強まり、自民党内での対立も生じる。  朝日新聞
(16日夕)
朝日新聞 
  10月17日   鉄道建設審議会は総会で、北海道、東北、北陸、九州(福岡−長崎)、同(福岡−鹿児島)の五新幹線の整備計画を諮問通り新谷運輸相に答申。十新幹線については付帯決議を付けることになろうとの見通しを表明。 朝日新聞 
  10月26日   新谷運輸相は12路線の新幹線基本計画を説明、首相の了承を得る。 朝日新聞  
  10月30日   鉄道建設審議会は総会を開き、さきに新谷運輸相から文書で諮問のあった12路線の新・新幹線基本計画について審議。審議に先立ち運輸省は、諮問の背景となった旅客輸送の見通し、時間短縮効果、収支見通し、などを説明。この中で運輸省は、東京−鹿児島間7時間、東京−旭川間6時間40分で列車の往来が可能となることや、収支見通しについては、中央新幹線を除き、黒字になるのはいずれも相当時間がかかることも表明。 朝日新聞 
  10月31日   12新幹線について鉄道建設審議会小委員会が了承。昭和62年度末をめどに完成させる計画である。 朝日新聞  
  11月2日   鉄道建設審議会は、運輸大臣から諮問のあった12路線の新・新幹線(中央新幹線含む)の基本計画を諮問通り答申。また、先月31日に開かれた同審議会小委員会がまとめた「12路線は緊要度に応じて段階的に建設せよ」などの付帯決議を、字句を一部修正して決定。

 なお釧路、常磐、紀勢の3路線についても調査するよう運輸省に求める方針であることが報道される。 ⇒朝日新聞(11/2夕)  
朝日新聞

仲日新聞
  

 
1974(昭和49)年  3月27日   運輸省が、東京−大阪間の輸送力増強や騒音問題対策として、中央新幹線を東海道新新幹線のバイパスに位置付け、早期に開業させる方針であることが表らかになる。 朝日新聞 
  6月10日   リニアモーターカー実験線を宮崎県日向市に建設することが決定。国鉄は、深刻な新幹線の騒音対策の切り札として、磁気浮上方式が不可欠であると説明している。  
  7月16日  徳永運輸大臣(当時)は、全国新幹線鉄道整備法に基づき、中央新幹線(甲府市−名古屋市間の山岳地域)および四国新幹線(豊予海峡)についての地形・地質調査を指示。12新幹線のうち、最初に調査が開始されることになる。 朝日新聞 
1977(昭和52)年  4月16日   宮崎実験センターの開所式。 読売新聞 
1978(昭和53)年  3月22日   自民党議員によってリニア中央新幹線建設促進議員連盟が結成される。   
  10月    国鉄が運輸大臣に対して甲府市・名古屋市間の地形・地質調査の中間報告。A路線(木曽谷経由)、B路線(伊那谷経由)、C路線(南アルプス貫通)の3路線を候補にあげ、いずれも難易度は高いものの技術的に可能とする。 このときは車輪式走行が前提である。  
1979(昭和54)年     整備新幹線5路線に関する環境影響評価の運輸大臣通達がなされる。これは環境影響評価手続きを定めたもの。ただし市民による意見提出機会は制限されている。   
  8月   宮崎実験線で走行実験開始。   
  11月7日   中央新幹線建設促進既成同盟会の設立総会。リニアモーターカー方式による中央新幹線の実現のため、強力な運動を展開してゆくことを決議。会長に愛知県知事を選出。東京、山梨、長野、岐阜、愛知、三重、奈良、大阪の8都府県に設けられた既成同盟会が加盟。 中日新聞
朝日新聞
 
 
  11月14日   中部経済連合会は長野県の経済人と初の懇談会を開く。その結果、中央新幹線が中信地区(松本、塩尻など)を通るよう協力することなどを事業計画に盛り込むこととなった。    
  12月   無人走行で517q/hを達成。   
1980(昭和55)年      ガイドウェイを現在と同じU字型に変更。   
1982(昭和57)年  8月上旬   台風10号が本州中部を横断して大雨をもたらす。橋の流出や登山道の寸断により南アルプスの静岡市側へのアクセス道路が寸断され、数百名の登山客が山中に取り残される。4日ほどかけて最終的に564名をヘリコプター搬送。救助中に行方不明2名、けが人1名。リニア中央新幹線が大地震等で南アルプス直下に緊急停止した場合、より困難な状況が想定される。 (ブログ記事へリンク)   
  9月24日   整備新幹線計画の凍結を閣議決定。   
1986(昭和61)年  6月2日   自民党の金丸信・前副総理は名古屋市内で開かれた遷都都市シンポジウムで講演。中央リニア新幹線が首都移転に果たす役割は大きいとして、超党派の議員連盟をつくり、早期建設を目指したいする。  
  10月ころ   政府・自民党内にリニアモーターカー方式による中央新幹線の建設を検討する動きがあり、政府として調査を始める意向であることが報道される。国土庁から調査費が出される見込み。  (参考 読売新聞 昭和61年10月29日記事 「国鉄消えてもリニアは消えず」) 
1987(昭和62)年  3月   国鉄が運輸大臣に甲府市・名古屋市間の地形・地質調査結果を報告。技術開発により勾配、最小曲線半径等の制限が緩和される可能性があるとして、さらに詳しい追加調査が必要と結論。国鉄民営後も調査が続けられることになる。  
  4月1日   国鉄民営化。JR東海発足。リニアの実験は財団法人鉄道総合技術研究所(鉄道総研)が継承。  


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