南アルプスの隆起速度 
日本最大? それとも大したことない?

 南アルプス(赤石山地)は、火山をのぞくと日本列島で最も活発に隆起している地域のひとつといわれています。これは地形学者・地質学者・測地学者の共通認識になっているようです。
 
例えば40年ほど前に次のような報告がなされています。

@1895年前後から1965年前後にかけての計4回の測量結果より、赤石山脈付近では1年間に4oほど隆起していると報告される。付図では、赤石山脈付近の隆起量は日本最大級になっている 
檀原毀(1971):日本における最近70年間の総括的上下変動,測地学会誌17,100〜108ページ 
 
この報告の後、多くの地形学者や地質学者がこの見解を支持していて、地形学や地理学関係者の間では、もはや常識的なこととなっています。 なお、水準測量というのは、東京湾の平均海面をもとに基準0mを定め、そこから短区間の垂直方向の高さを測り、その積算として標高を調べてゆくものです。

A「赤石山地の中心部では過去70年間に30pも隆起している。年間平均にして約4oもの隆起速度は、日本の山地のなかでも最急速なものである 
貝塚爽平・鎮西清高編(1986)「日本の自然2 日本の山」岩波書店 143ページより 
 
また近年になってGPSによる連続的な観測がおこなわれるようになりました。GPS観測というのは簡単に言えば、衛星からの電波受信時刻のズレによって大地の変化をとらえるというものです。GPS観測が行われるようになってからはまだ日が浅いのですが、それでも以下の論文によれば、連続的な隆起が観測されているとのことです。また、近年出版された地形学関連の文献でも、南アルプスの活発な隆起が紹介されています。
 
B「掛川から諏訪湖へと北上する水準路線に沿っては顕著な隆起が見られる。100年間の隆起量は40p程度に及んでおり、水準測量の精度を考えると明らかに有意な変動と言える。」「こうした結果は、檀原(1971)が70年分の水準測量データから得た変動傾向が現在もそのまま継続していることを確認するものである 
鷺谷 威・井上政明(2003):測地測量データで見る中部日本の地殻変動、月刊地球,25-12 922ページより 
 
C「赤石山地をほぼ南北に縦断する路線(諏訪湖-掛川[作者注:水準測量路線])では、伊那山脈南部の水準点5306は改測のたびに上昇しており、その上昇量は約100年間に40p(4o/年)に達している 
町田洋・松田時彦・梅津政倫・小泉武栄編(2006)「日本の地形5 中部」東京大学出版会 32ページより 
 
D「赤石山脈は隆起速度が年4o以上であり、これは世界最速レベル 
南アルプス世界自然遺産登録推進協議会編(2010)「南アルプス学術総論」118ページより
(参考 南アルプス世界自然遺産登録推進協議会のHP)
 
測量によって急速な隆起が確認されているのは、南アルプス本体というよりそれよりやや西方に位置する国道沿いの水準点です。Bの文献によると、赤石山脈中心部の継続的な測量データは存在していないとのこと()。また、Cの文献によれば、赤石山脈全体としては、山地全体の地形からみて北東側ほど隆起が活発であろうとのこと。というわけで、山岳中心部の正確な隆起量については「4o以上」とみるのが妥当なはずです。また、南アルプス東側に隣接する巨摩山地も、隆起は急激とのことです。

山頂などに設けられている三角点にもp単位の標高が記されていますが、三角点はあくまで水平位置関係を把握するためのものであり、高さの精度は水準点に劣ります。 
そのいっぽうで、南アルプスで最も活発な隆起が継続しているであろう「南アルプス北東部〜巨摩山地」から、わずか15qほどしか離れていない甲府盆地は、年間1o程度のペースで沈降傾向にあるとのこと(それでも湖になってしまわないのは、周辺の山地から土砂が流れ込んでいるため)

 

こちらは国土地理院が2001年に発表した、過去100年間における日本列島の地殻上下変動を図示したものです。(リンクはこちら:加筆してあります)

赤色が濃いほど大きく隆起したところ、青色が濃いほど大きく沈降したところを示しています。

宗谷地方北部、朝日山地(山形県)、赤石山地〜浜名湖、紀伊半島南部、四国南部に赤い部分があります。このうち浜名湖付近、紀伊半島南部、四国南部は、昭和東南海・南海地震(1944年・1946年)に伴う急激な隆起が反映されています(現在は次の南海トラフ沿い大地震に向かって沈降中)。これをのぞくと、継続的に活発な隆起を続けているのは宗谷地方北部、朝日山地、赤石山地となります

また、南アルプスの東側(甲府盆地付近)は緑〜青緑色すなわち沈降域であるのに対し、わずかに離れた南アルプス付近は赤く塗られ、数十p隆起していることが分かります。

つまり南アルプス東側では、沈降傾向にある場所と、活発な隆起が継続している場所とが隣接しており、リニア新幹線はその変動地帯(隆起軸)をトンネルで貫こうと言うわけです。年間5o、数十年単位で数十pの上下変動が起こる山岳地帯を1本のトンネルで貫いた例は、これまで我が国にはありません

ちなみに大きな平野では著しい沈降が見られますが、これは大都市での地下水くみ上げが最大の要因です。


ここにトンネルを掘ろうとしているJR東海は、どのような見解をしているのでしょう?

JR東海作成の環境影響評価配慮書には

赤線部分のように、「隆起速度は、日本国内で突出した値でない」と書かれています。

図を見ればあからさまに日本最大級なのに、そして多くの専門家の共通見解でもあるのに、何を根拠として「突出した値でない」とまで言い切ったのでしょう?

それをうかがわせるやり取りが、2012年7月12日に長野県飯田市での説明会で起きたていたようです。
 
 
(問い)南アルプスは隆起しているが安全なのか? 
(JR東海側の返答)国土の隆起の数値を見ると、大鹿村のデータが突出しているものではない

「国土の隆起の数値」とは何のことやらよくわからない日本語ですが、おそらくは国土地理院のHPに公開されている、GPS観測データのことだと思われます。
 
また、データが突出しているわけではないから何だと言いたくなるような、微妙に意味不明なやり取りですが、平易に解釈しますと、
国土(地理院)(GPSで観測した)隆起の数値を見ると、(南アルプス西部にある)大鹿村のデータが突出しているものではない(からトンネルを掘っても問題はない)」という意味だろうと思われます。


 
さて、そのGPS観測ですが、これについても国土地理院のHPから転載しますと…
 

(そのまま開くと水辺方向の変動が示されますので、「表示形式」を「垂直方向」に変更すると、上下方向の移動、すなわち隆起・沈降の様子が表示されます)。
 
このデータでは、確かに大鹿村の2002年8月〜20012年8月の10年間の垂直変動は、−2.4pと表示されます。隆起どころか沈み込んでいるんですね。しかも、この範囲では下向き矢印(沈降)が卓越しているようにに見えます。

ただ注意していただきたいのは、「GPS観測による変動は、ある観測点を基準にした相対的な変化である」ということです。
 
先ほど「GPS観測というのは衛星との距離を測るもの」と書きましたが、ある場所の変動を知るためには別に基準となる観測局を決め、そこでの変動をゼロと仮定し、相対的なデータをとらなければなりません。この基準となる観測局のことを、固定局とよんでいます(ややこしくてごめんなさい)。
 
画面の左上には、《固定観測局「岩崎」》と表示されています。大鹿村の−2.4pという数字は、「岩崎」という場所を固定局にすると「−2.4p」という意味です。ではこの「岩崎」がどこかといいますと、実は青森県の日本海側にあるんです。青森県日本海側は、最初の100年間での垂直変動図では隆起してるんですね。
 
この固定局は自在に変更することができます。たとえば福島県小高という地点に変更すると、大鹿村の隆起は+57.6pという大変な値になります。もちろん、南アルプスがそんなに急に隆起したわけではありません。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震で、東北地方〜関東の太平洋岸が一気に沈降したためです。
 
このように、固定局の選定によっては、ある場所が隆起傾向にも沈降傾向にも表現されてしまいます
  
また2002〜2012年の間には、中部地方では能登半島沖地震、中越地震、中越沖地震などの地震が起きていて、これらにより局所的に急激な変化も起きています。

さらに、東海地域ではスロースリップという現象も考慮しなければなりません。これは静岡・愛知県境付近の地下で、陸側プレートがゆっくりとフィリピン海プレートの上面を滑りあがるという現象です。これが起きている間は、愛知県から長野県南部にかけては沈降する傾向があることが明らかになっています。このGPS観測期間のうち、2000年秋ころから2005年夏ころにかけて、スロースリップが起きていたことが確認されています。http://cais.gsi.go.jp/tokai/(国土地理院)
 
さらにさらに、さきほどの「大鹿村−2.4p」は最近10年間での上下変動値ですが、これを最近1年間に切り替えますと、「+1p」になります。
 
 
どれが本当なのかわかりませんね。
 
要するに、「大鹿村のデータが突出しているものではない」という見解には、固定局の選定方法の良し悪し、あるいは大地震やスロースリップという数年単位での短い変動が、一種のノイズとして現れている可能性が否定できないのです。  
 
GPS観測は、連続観測が可能という優れものですが、何しろ観測期間がまだ十数年しかありません。10年程度の観測では、得られたデータが一時的な変動なのか、長期的な変動とも一致しているのかを見定めることができません。地球温暖化を論ずるときに、数年単位での気温変化に目を配っていたら、長い目での議論ができなくなるのと同じ話です。
 
これらの話は、Bの文献に特に詳しく述べられていますので、興味のある方はご覧になってください。
 
 
長い目−日本で近代的測量が始まった明治以降の100年間−で眺めますと、南アルプス周辺は明らかに隆起しています。 

急激に隆起しているトンネルにトンネルを掘った場合、長期的にはどのような影響がでてくるのか、私には分かりません。しかし工事中が、隆起による上方への圧力と1400mの土かぶりによる下方への圧力とにより、非常に難航するかもしれません。また隆起している以上は岩盤にヒビが入ったり、トンネルそのものが変形してくるかも知れず、維持管理に影響を及ぼすかもしれません。

少なくとも、リニアのトンネルの耐用年数は数十年以上の期間のはずです。ですから数年の観測データではなく、数十年〜百年単位での隆起傾向で議論すべきではないのでしょうか

◇   ◇   ◇   ◇   ◇
 
JR東海や国交省が「南アルプスにトンネルを掘ることは技術的に可能」というのは、ただ単に「地質条件が悪くても25q程度のトンネルを掘ることは可能」といっているだけのようです。「山地自体の変形を考慮しても長期的に維持可能」なのかどうかについては、全く触れていません。
 

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