大井川・田代ダムと「水返せ」運動 

 【参考文献】
中部電力株式会社静岡支店大井川電力センター 編集(2001) 「大井川 流域の文化と電力」
静岡地理教育研究会 編集(1989)「よみがえれ大井川 その変貌と住民」
中川根町史編さん委員会 編集(2006)「中川根町史 近現代通史編」
本川根町史編さん委員会 編集(2003)「本川根町史 通史編3 近現代」
着色した欄は田代ダムに関わる事項

1906(明治39)年頃  公爵副島道正、公爵樺山愛輔らが、イギリスの資本家と共同で日英共同株式会社を設立。東京への電力供給源として利根川、鬼怒川、富士川、大井川、天竜川の水力に着目し、大井川流域においては3地点で水力発電事業を計画。
 1.牛の頸計画…上川根村奥泉字戸山より同村同字尾山へ導水。水利権を静岡水力電気事業株式会社の名義で取得する計画。
 2.井川梅地計画…安倍郡井川村井川字大久保に堰堤を設置し、大井川の水を志太郡東川根村梅地へ導水。水利権を大井川水力電気事業株式会社名義で取得する計画。
 3.椹島保村計画…安倍郡井川村田代字上倉沢から隧道にて山梨県南巨摩郡都川村字保村へ大井川の水を導水。水利権を 田代川水力電気事業株式会社の名義で取得する計画。

3社の水利権は日英共同株式会社に集約された。
1907(明治40)年 12月   静岡県知事、山梨県知事より「田代川水力電気土木工事許可書」が田代川水力電気事業株式会社発起人(副島道正含む)に公布される。
1908(明治41)年 7月   日英水電株式会社が設立された。副島道正が取締役を務める。日英共同株式会社が取得した水利権が譲渡されたが、英国資本は手を引くなどして事業は進まず。
1918(大正7)年 6月   発電設備を持たない早川電力株式会社が設立される。こちらも副島道正が取締役を務める。
  4月18日   「田代川水力」発起人が水力使用許可を申請したという
現川根本町の所有資料による。ここでいう「田代川水力」が前述の田代川水力電気事業株式会社、後述の田代川水力電気株式会社どちらを指すのか判然としない。
1920(大正9)年 2月   早川電力は日英水電を併合。早川水系に発電所を設置し、京浜地域、静岡県東部方面に送電。 
1921(大正10)年 2月7日   田代川水力電気事業株式会社に大井川の水利用が許可される。許可水量は毎秒2.92トン 
この記述は、昭和39年4月30日の東京電力への取水量変更の認可は、「大正10年2月7日に田代川水力電気事業株式会社に対し毎秒2.92トンを許可したものを、同社を引き継いだ東京電力に対し毎秒4.99トンに増やすことを認可する」という趣旨であったことに基づく。しかしこの場合、明治末に同社に与えられ日英水力電気株式会社へ引き継がれた水利権と重複することになる。
 ホームページ管理人の頭だけでなく、どうも資料のほうにも混乱があるらしい。 
  6月   逓信大臣より、日英水力電気株式会社から早川電力への事業譲渡が認可される。
  7月   静岡県知事より、田代川水力電気事業株式会社の取得した水利使用権の早川電力への譲渡が許可される。
1922(大正11)年 8月   早川電力は田代川水力電気株式会社を設立。 「椹島保村計画」よりも上流に堰堤を築き、早川へ導水する計画をたてる。
1925(大正14)年 3月   早川電力と群馬電力が合併し、東京電力となる(現在の東京電力とは別物)。 
1926(昭和元)年 4月   東京電力は田代川水力電気株式会社を合併。 
1927(昭和2)年   田代ダムが竣工。 
     東京電力東京電燈が合併。大井川の水利権は東京電燈が引き継ぐ。 
1935(昭和10)年 9月   支流寸又川に千頭ダムが完成。ここより送水する湯山発電所は10月に完成。 
1937(昭和12)年 1月   上川根村(現川根本町)の大井川本流に大井川発電所が完成し、送電を開始する。 
1938(昭和13)年 8月   支流寸又川に大間ダムが完成。ここより送水する大間発電所は12月より稼働。 
1942(昭和17)年 4月   国家総動員法に基づき、全国の発電事業者が九つの配電会社に統合される。早川水系の発電所は関東配電株式会社の管轄となる。 
1944(昭和19)年 3月  中流の中川根村(現川根本町)久野脇に久野脇発電所が完成。  
1952(昭和27)年 10月   政府は電源開発基本計画を策定。大井川流域においては10か所の水力発電所を新造する計画であり、これにしたがって電源開発が進むことになる。 この後10年程度の間に、畑薙第一、畑薙第二、井川、寸又川、境川、笹間川の各ダムをはじめ、多くの取水・貯水施設が建設される。  
1960(昭和35)年 11月   川根町(現島田市)に塩郷堰堤より送水する川口発電所が完成。以降、塩郷堰堤の下流では渇水が、上流では堆砂が問題となる。 
1963(昭和38)年 5月6日  東京電力は山梨県知事および静岡県知事に対し、田代ダムからの取水量増加を申請。
1964(昭和39)年 4月30日   山梨県知事および静岡県知事より東京電力に対し、田代ダムにおける取水量を毎秒4.99トンに増やすことが認可される。 
1972(昭和47)年 8月   水利権更新を前に、大井川流域より河川環境改善の要望が相次いだことを受け、静岡県知事は山梨県と東京電力に対し、田代ダムにおける取水量を毎秒2トン減らすよう要望。
 東京電力は「4月から11月まで、毎秒0.5トンなら削減は可能」と回答。
 山梨県は「大井川の水利権は1906(明治39)年以来のものであり、早川流域の発電や農業にも影響する。大井川中流域の渇水の責任は中部電力にある。」と回答。 
1975(昭和50)年 12月   東京電力のもつ水利権が切れる。 
1976(昭和51)年 12月   静岡県、中部電力、東京電力の間で協定を締結。中部電力が東京電力に代わり塩郷堰堤より毎秒0.5トンを放流し、東京電力が補償を行うものとする。 
1977(昭和52)年 4月1日   塩郷堰堤より毎秒0.5トンの放流を開始。しかし放流期間は4月1日から11月30日までにとどまり、冬季を中心に全く水の流れない日が長期に及ぶ事態は変わらなかった。 
1984(昭和59)年 5月   川根、中川根、本川根(以下、川根三町)の町議会議長は、東京で飲料水の枯渇、維持流量の確保、堆砂問題について陳情活動を行う。 
 

7月

 川根三町の町議会議員による「川根地域議会議員協議会」が田代ダムを視察。
以降、大井川中流の塩郷堰堤に対し、環境維持放流の増加を求める運動が盛んとなる。 
1985(昭和60)年   10月   「大井川中流域技術研究会」を設置。大井川中流域における河川流況、河床変動等について基本的事項を整理するという目的。建設省、静岡県、川根三町、中部電力が参加、実務担当は財団法人国土開発技術センターがおこなう。
1986(昭和61)年  1月   中川根町議会は大井川問題の調査を国土問題研究会に依頼。昭和64年3月末の水利権更新に向けて、環境改善について住民参加型で解決してゆくことを目的とする。
1987(昭和62)年  6月  国土問題研究会が報告書「大井川中流域の防災及び環境改善方策に関する調査研究」を提出。大井川における過剰な発電用取水については「中部電力による濫用」と指摘。
・計画中の長島ダムからの取水を河道に5.04㎥/s川に戻す。
・田代ダムの取水量を5㎥/sカット
・久野脇発電所(塩郷堰堤)の取水量を2㎥/sカット
・大井川発電所から5㎥/sを川に戻す
・榛原川堰堤から2㎥/sを川に戻す
・境川ダムから1㎥/sを川に戻す
ことにより、中流域で20㎥/s弱を確保できると結論付けた。
  12月   大井川中流検討会が「総合報告書」を発表。大井川中流での堆砂は塩郷ダムとは無関係としたうえで、維持流量は次のように提言。
・大井川ダムから1.5㎥/s
・寸又川ダムから0.7㎥/s
・塩郷堰堤から3㎥/s
この内容に地元からは一気に不満が高まり、運動が活発化。
1988(昭和63)年  1月   川根三町大井川問題対策協議会を結成。のち、三町に加え金谷町、島田市にポスターを1900枚貼り、住民に対しハガキによる陳情を依頼。また、町議会議員や地元住民などによる建設省、中部電力、静岡県庁への陳情を繰り返す。
  1月29日   静岡県知事からの提案

@同年3月31日に水利権更新の来る大井川発電所について、大井川ダムから1.5㎥/s、寸又川ダムから0.7㎥/s、大間ダムから0.6㎥/sを放流 
A翌年3月31日に水利権更新のくる川口発電所について、中部電力と協定書を締結し、塩郷堰堤より3㎥/sを放流。 
B地元の要望する増量については、4月から試験的に、塩郷堰堤から5㎥/s、大井川ダムおよび寸又川ダム合わせて3㎥/sを放流し、結果を見て放流量、期間を決定する。 
中川根町の堆砂問題については早急に対策を実施。 
  3月31日   静岡県と中部電力との間で「大井川流況改善のための措置について」の協定を締結。 
  4月1日   塩郷堰堤より試験放流開始。
  4月28日   中部電力は放流量についての案を発表。
@中部電力は昭和63年4月1日から川口発電所の水利権更新許可がおりるまでの間、大井川中下流部の流況の改善に努める。
A中部電力は、塩郷堰堤から下流に概ね3㎥/sを放流する。 
Bこの協定に定めのない事項、また協定に疑義が生じた場合には、その都度、静岡県・中部電力間で協議・処理にあたる。 
  7月   建設省から「発電水利権の期間更新時における河川維持流量の確保について」が通達される。河川維持流量の目安を100㎢あたり0.1〜0.3㎥/sとする。
1989(平成元)年 4月1日   水利権更新。塩郷ダムからの維持流量は冬季3.0㎥/s、夏季5.0㎥/sとなる。  
2000(平成12)年 11月   大井川流域の市町は「大井川の清流を守る研究協議会」を結成。2005年の東京電力更新に向けて、大井川源流部訪問、大井川水フォーラムや大井川水シンポジウムの開催、県、東京電力、国土交通省への陳情を行う。
2003(平成15)年 2月   静岡県、大井川流域の市町、発電事業者、国土交通省による「大井川水利流量調整協議会」が設立される。田代ダムからの適切な放流量の確保について調整することを目的とする。
2005(平成17)年 1月  第4回大井川水利流量調整協議会。
 参加した「大井川の清流を守る研究協議会」は環境維持流量について
・通年維持流量は毎秒0.5トンを確保
・3/20〜12/20は毎秒2.07トン
という提案を行う。つまり1964年以前に戻すべきという内容である。

これに対し東京電力は、
 ・渇水時には発電ができなくなる
 ・田代ダム〜木賊堰堤間を「減水区間」とし、通年維持流量は毎秒0.1トンで環境維持が可能と反論。

 東京電力の主張の根拠は、当時は一般的に、「ダム開発等による流域変更で、減水区間において事業者が環境改善の義務を負うのは対象の取水施設から次の取水施設まで」というルールが用いられていたためである。
 

6月

第6回大井川水利流量調整協議会。
 国土交通省は、大井川については減水区間を河川全域とし、川をあるべき姿に戻すための正常流量を決めるべきと提案。
 

9月 

第7回大井川水利流量調整協議会。
 国土交通省の提案に従い、静岡県は地元要望に基づき、田代ダム地点に換算した必要流量を提示。
1〜2月 毎秒0.8トン 駿遠橋(旧川根町)での景観維持のため 
3〜4月  毎秒1.0トン  富士見橋(旧大井川町)でのウグイの産卵に必要 
5〜10月  毎秒2.0トン  塩郷堰堤下流ので河川利用のために必要 
11〜12月  毎秒1.1トン  川根町内でのアユの産卵のために必要 
 

10月 

第8回大井川水利流量調整協議会。
 第6回における提案について東京電力が対案を提示
11〜4月  毎秒0.1トン
5〜8月  毎秒1.26トン 
9〜10月  毎秒1.08トン 

大井川の清流を守る協議会からは、「夏季はもともと流量が多い。冬季こそ維持流量の増加が必要」として不満が出される。
 

10月13日 

 静岡県議会は「大井川水系の河川環境の整備を保全に関する意見書」を全会一致で採択。
【概要】
河川環境の整備と保全という平成9年の河川法改定の主旨を踏まえ、大井川の河川環境を維持し得る十分な放流水量の確保を最優先するとともに、水利権許可起源短縮などの見通しを図るよう強く要望する。
 

11月8日 

第9回大井川水利流量調整協議会において、東京電力から再提案。
12月6日〜3月19日 毎秒0.1トン。ただし河川流量が毎秒1.62トンを超える場合には毎秒0.43トンを放流する。 
3月20日〜4月30日  毎秒0.98トン 
5月1日〜8月31日  毎秒1,49トン 
9月1日〜12月5日  毎秒1.08トン 
これに対し流域自治体からは、冬季の維持流量は毎秒0.5トンが必要だとする意見が出される。  
 

11月28日

第10回大井川水利流量調整協議会において合意が成立。
 ・田代ダムからの維持流量は次の通りとする
12月6日〜3月19日  毎秒0.43トン。ただし、河川流量が毎秒0.1トンを超える場合に限り、毎秒1.62トンの範囲内で発電取水ができるものとする※。 
3月20日〜4月30日  毎秒0.98トン  
5月1日〜8月31日  毎秒1,49トン 
9月1日〜12月5日  毎秒1.08トン 
 ・水利権許可期間は10年とする
 ・今後も環境改善効果を検証する
※毎秒0.43トンを下回った場合、田代ダムからの発電取水はできないことになる。
 

12月31日  

田代ダムの水利権更新。 
2006(平成18)年  時期不明   遅くともこの年の夏には、JR東海が大井川源流部での流量観測を開始。
3月30日  第12回大井川水利流量調整協議会
 田代ダムからの維持放流量増加にともない、中部電力の木賊堰堤、国土交通省の長島ダムからの放流量も増加せることが決定する。
2013(平成25)年 9月18日  JR東海は環境影響評価準備書を作成。リニアのトンネル建設により、田代川ダムにおける流量は年平均で毎秒2トン程度減少するという結果が明らかになる。
 

11月上旬 

 大井川の水を利用している市、町、水道企業団、土地改良区の計15団体からJR東海に対し、大井川の流量を保全するよう意見書を提出。⇒静岡新聞記事 
 

12月18日 

 大井川水利流量調整協議会において、JR東海はトンネル湧水をポンプでくみ上げて放流する案を示す。 
2014(平成26)年 12月29日   JR東海は有識者会議の大井川水資源対策検討委員会を設立。都内で会議を開く。
2015(平成27)年

4月2日 

 JR東海は、自主的に設置した有識者による会議「第2回大井川水資源検討委員会」を都内で開催。大井川の流量減少に対し、導水路とポンプアップを組み合わせて下流への利水対策とする案を公表。
 

4月28日 

 静岡市はJR東海による導水路案について、専門家会議を招集し、その場にてJR東海に説明させる方針を発表。
 

7月5日

 「大井川水資源検討委員会」メンバーが、導水路予定地の南アルプス大井川源流部を現地視察。
  9月24日   2015年12月31日に10年ぶりの水利権更新を迎える田代ダムについて、大井川水利流量調整協議会は、現在の河川維持放流量を維持する方針で合意。
 

11月27日

 第4回大井川水資源対策検討委員会が東京都内で開かれ、同社としては、水資源対策として本坑から大井川に向けて導水路を建設する計画を決定する。
 

12月18日

 大井川流域をくぐり抜けるトンネルについて、山梨県早川町側工区を対象に起工式が執り行われる。一部工区が大井川流域にかかる。
 

12月21日

 JR東海は静岡市に対し導水路案を報告。市の有識者会議からは環境保全上の懸念が表明される。 
2016(平成28)年 1月1日   田代ダムの水利権更新。
2017(平成29)年  1月17日   JR東海は、静岡県内工区における導水路トンネル、燕沢発生土置場、位置変更後の工事用道路トンネルについての環境影響評価結果を静岡県に報告。静岡県環境影響評価条例に基づき、事後調査報告書の形をとっている。
  3月13日   大井川の流量減少問題について、上水道、土地改良区、電力会社など計11の水利用団体はJR東海に対し、流量減少対策の内容を明記した協定を4月末までに下流利水者と締結するよう要求。
  3月31日   大井川流域の10市町がJR東海に対し大井川の流量と水質の現状維持を申し入れ。
  4月3日   導水路トンネル、工事用道路計画)に対する静岡県知事意見がJR東海に手交される。
  4月27日   事後調査結果についての静岡県知事意見に対するJR東海の見解が県に送付・公表される。流量の現状維持については触れず、4月末日までに締結するよう求められた協定については協議中であるとし、具体的な回答はみられない。
  5月15日   JR東海の柘植康英社長は定例記者会見において、求められた協定締結については県と協議中であると述べる。


これ以降のリニア計画関連の出来事については、静岡新聞記事一覧静岡県庁ホームページをご参照ください 





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